三者三様
昨晩粘土遊びを始めた3人姉弟。
同じ環境で育っていても、やっぱり別人格の3人。
同じ色の同じ粘土をポンと置くと、粘土の取り方から使い方まで、本当に三者三様全く違います。
長女は既に「ものづくり」を色んな場面で経験しているだけあって、折り紙を小さく切って、筒にして、中に小さく練った粘土を入れて、アイスクリームを作り始めました。
次女は色んなおもちゃを持ってきては、粘土の型を取ったり、詰めてみたり、粘土の形の変化を楽しんでいるようでした。
長男は、とにかく粘土の塊を欲しがり、折り紙の中に粘土を丸めて入れ、何重にも包んでは、手でグリグリ握って、まるでおにぎりを作っているかのようでした。折り紙と粘土の境目などは全く気にしていない様子。
学校や保育園、公共の場で他社と同調することが必要な場面もありますが、ものづくりや創作においては、自分の好きなように、自分の感性で動けることが、子供の成長につながるのだと思います。
折り紙を与えても、塗り絵を与えても、3人はいつもまったく違う使い方をします。
年齢によっての違いも多少はあるのでしょうが、それぞれ、「モノ」の先に見えているもの、描いている世界が違っているのだろうと思います。
子供の時は、「違う」ということが素晴らしいと思ってもらえるのに、いつから、「普通に」を求められるようになるのでしょうね?
まず、それを求めているのは、親であることが多いように思います。
子供に「ちゃんと」「まともに」育って欲しいと思うが故に、
「恥ずかしくないものを」作るように、仕向けていくことは、小学生から始まるような気がします。
私自身、長女の夏休みの自由研究や作品を見守る中で、何度もその罠にかかりそうになりました。
保育園の時までは、どんなものを作ってきても、「すごい!!!」と言えていたのに、小学校では、なぜか、「子供が他の人からも褒められるような作品を作れるように」という変な意識が入り込んできて、ついつい口出ししそうに・・・。
去年の作品を見てしまったり、体育館に展示されることを知ったりしたからかもしれません。長女が、先生に褒められることを、強く望んでいるタイプと知っているからかもしれません。
でも、どんなものを作っても、子供って、やっぱり、一番に、親に褒めてもらいたいんですよね。一番に、親に、見せたいんですよね。
「ほら、見て!」「どう??」
の先に、親がどんな言葉を返すかって、その子の自信や人格形成に、大きく関わっていると思います。
まず、自分の頭で考えたこと、自分の力で作ろうとしたこと、それだけでも、この世に生を受けてたった6、7年しか経っていない子供にしたら、すごいことなんですよね。
だって、大人だって、何もないところから自由に何かすごいもの作れって言われたら、困りますよね。しかもそれが他の人の作品と一緒に展示されるなんてことになったら、私はとても怖い気持ちになってしまうと思います。
それを、子供がやるんですもの。何かを終わらせるというだけで、偉いと思います。人には得意不得意があり、大人になって絵が下手でも誰も何も言わないのに、小学生で絵が下手だと、なぜか笑われたり、親にダメ出しされたり・・・子供って大変。
話は逸れましたが・・・・
子供が潜在的に持っている個性や、創造力をこれからも見守り、育んでいきたいなと思ったのでした♪
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