脆弱さを認めること
SNS上のやりとりが増える中、人は自分をよく見せようとすることや、人の興味を引くような言葉を並べることを意識するようになりました。
その裏で、
◯◯映えする
ことに疲れている人も増えているのではないでしょうか。
本来、人は弱くもあり、強くもある生き物です。
その弱さを認めることなく強さを誇示する生き方は、健康的ではありません。
でも多くの人が、自分の弱さを他人に見せられずに苦しんでいます。
そしてギリギリまで溜め込んだ結果が、自殺率の増加や予約でパンパンの心療内科の増加、社会全体の息苦しさに表れているのだと思います。
自分の弱さを他者に見せられないという考えは、冷静に考えるととても古いもので、令和的ではないですが、いまだに、人間が本来持ち合わせている弱さの部分を認めることが出来ない人は多くいます。
自分の弱さを認められないとどうなるかというと、他の人と比較してしまったり、自分を実際よりよく見せようとしたり、逆に、卑屈になってしまったりします。
そして、親がその状態だと、子供との関係においても、上下関係を作って子どもをコントロールしてしまいがちです。
よかれと思って、と言いながら、根底では、自分が不安な気持ちを、子供の成功で解消したいという自分本位な欲求からきている場合もあります。
そのような自分の中の不安や弱さに向き合うまでは、いくら教育本を読み漁っても、正しい声かけを覚えても、本当の意味で子どもと心を通わせるのは難しいと思うのです。
親は、子どもより少しだけ長く別の時代を生きているだけで、子どもから学ぶこともたくさんあるということ。
親と意見が違う場合は、子どもは怯えずに自分の意見を伝えることができる関係を築いておくこと。
子供に勉強を強いる前に(言葉だけでなく態度でも)親がやるべきことは、まず自分自身の脆弱さと向き合い、それを認めること。
そこで初めて、1人の人間として、子どもに向き合い、1人の人間として、子どものことも尊重することができるのだと思います。
Be vulnerable.
脆弱であれ。
自分の脆弱さを認めることで、人は自由に生きることが出来るようになります。
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