裏表のない子育て
子育てあるあるの中で、自分だけで子供と接しているときと、人前で子供と接しているときとでは、声のトーンや返答の仕方などが全く違う事がある、というのがあると思います。
同じように子供に声をかけられても、家で誰からも見られていない時はぶっきらぼうに答えるのに、外でママ友と一緒にいる時は、「なぁに?」と優しい声になったり・・・。
私はずっとこの中と外でのママの態度の使い分けに違和感があり、自分でもそのような態度の変化に気づいた時に、なぜそのような態度の変化が起きるのか深く考えるようになりました。
今では、人前であろうが誰も見ていなかろうが、ほぼほぼ同じ態度で子供と接するようになりました。
石田先生が、「自分の子供に優しくできない時は、他人の子供と思って接すると違う対応ができる」ということをおっしゃっていますが、私は全く逆のやり方で自分の子供に裏表のない対応ができるようになったことに気づきました。
それは、自分の子供も人の子供も、みんな自分の子供と思って接すること。
特に意識してそのような努力をしたということではないのですが、自分の子供も他人の子供も、「子ども」として見れている時は、自分の子供だからと、「早くしてよ!」といらいらする事が少なくなってきたというか・・・。
結局は石田先生がおっしゃっていたように、他人の子供に接するように接する事ができるようになったという事なのだと思いますが、急に「他人の子供と思って接しよう!」としてもなかなか難しいと思うんですよね。
多分、他人の子も自分の子も同じ「子ども」として見て接することで、子どもを穏やかな目で見る練習ができていたのかなと思います。
書いていて思いましたが、自分の子供を他人の子供として見るというよりは、自分が保育士になり代わったように子どもに接する、の方が近いかもしれません。
ちょっと誤解を招きやすい表現かもしれませんね。説明も難しいなぁ(笑)
旦那さんに対しても、親に対してもそうだと思います。
旦那さんからの返事がぶっきらぼうになったりする場合、慣れや甘えもあると思いますが、本当は、おかしいですよね。日本だと結構それが許容されている雰囲気がありますが、家族だからぶっきらぼうな返事をしていいということはないと思います。
相手が誰であろうと、相手が他人だと思い込むというよりは、「人を選ばず自分が接する相手にとって気持ちよく返事をする」という覚悟のようなものが、根底に必要な気がします。
そしてその意識は、ちょくちょくアップデートしていかないと、すぐ忘れてしまいなあなあになってしまいます。
でもその馴れ合いが、いつの間にか人間関係においてすれ違いを生み、会話消滅になり、気づいた時には家族の中で雑談がなくなっていた・・・なんていうパターンもたくさんあるのではないでしょうか。
最後に私が大切にしている言葉を一つご紹介させていただきます。
"What can you do to promote world peace? Go home and love your family."
世界平和のためにできることですか? 家に帰って家族を愛してあげてください。
- Mother Teresa (マザー・テレサ) -
今日も、家族を大切に思い、愛を感じる返答ができる1日になりますように。
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