できの悪い子なんていない!
昨今、虐待や家族間での殺人などが増えてきたように感じますが、ニュースでこのような報道がされる時、どんなことを考えますか?
もちろん、「悲しいな」「かわいそうだな」「物騒だな」そのような感想はあると思いますが・・・
「どこでどうしてそうなった!?」というような疑問もありますよね。
海外のドキュメンタリークルーやニュースクルーが日本で撮影をする場合、日本人では深掘りしないような点までグイグイ踏み入って取材をしたがることがほとんどです。でもそれは、週刊誌やタブロイドが芸能人の私生活に踏み入って粗探しをしたりするのとは違い、マスコミの本来の姿であろう、「問題提起」をするためである場合が多かったのです。
例えば、摂食障害や、昼真面目なサラリーマンの夜の姿、孤独死、など、匿名でしか語りたくないような内容でも、実際の人物像にこだわり、本人にとどまらず、様々な専門家など深いところまで取材を重ねます。
長年にわたり日本の中でタブー視されていたり、フォーカスされないような問題を抱えている人たちに取材を重ねる中で、いつも共通していることがありました。
摂食障害や自殺願望など個人的な苦しみを抱えている人、家庭内暴力や反社会勢力に加担して他者に危害を加えようとする人、共に遡って行くと、幼少期に大きな傷、または大人になるまで継続的に家族や信頼する人から傷つけられた経験があることです。
家族、子供にとっては特に「親」そして更には「母親」との関係性は人格形成や自尊心を育てる中で切っても切れない関係があります。
愛されて育つべき存在の子供が、「母親に愛されてない」と感じた時、心の中のパズルが崩れていきます。
逆に、学校などで自分を受け入れてくれない「他者」がいたとしても、母親や家族はどんな自分でも受け入れてくれるという安心感があれば、そこで食い止まることがでいます。
親は、「自分を超えてほしい」「自分のようになって欲しくない」「自分にできなかったことをさせてあげたい」など一見子供のことを思ってしていることでも、結局は基準が「自分」であることを忘れて子供に色々指導したりしがちです。
今の子供がいる場所、やっていること、学んでいることは、本当に、子供が喜びをもってしていることなのか。心が押しつぶされていないか。親を喜ばせるためにやっていないか。
「自分は、子供を、ありのままで受け入れ、愛しているか。」
生まれたその瞬間までは「健康でいてくれさえすれば何もいらない」と思っている人がほとんどだと思います。
いつからか、「〜ちゃんはこれも出来るよ」「もっと〜しなさい」と他人と比較し、上を上を見て子供自身が見えなくなる・・・
子供は、いろんな場面で、SOSを発しています。
それは、日常の「見て見て〜」という簡単な声かけから始まっているのです。
本当に手を止めて見ることはもちろん毎回は無理だと思います。でも、5回のうち1回くらいは、完全に手を止めて、ちゃんと子供にだけ目を向けて、耳を傾け、褒めてあげたり、共感してあげたりは出来るのではないでしょうか。
私が子供を連れて行く小児科に、こんな言葉が貼ってあります。
「育てたように子は育つ」
関心を持たれずに育った子は、他人にも関心を持たなくなります。
自分の痛みを共感してもらえなかった子は、人の痛みも感じることができなくなります。
傷つけられた子は、人を傷つけるようになります。
愛されて育った子は、人を愛することができます。
たくさん抱きしめてもらった子は、人を抱きしめる力の大きさを知っています。
子供の頃から尊重されて育った子は、他人の意見も認めることができるようになります。
※尊重と甘やかしは別物です。
子供と私は全くの別人格であり、私と同じように、子供だって認めてほしいと思っているし、話を聞いてほしいと思っているし、共感されたらホッとするし、叩かれたら、痛いのです。
心の中で癒されないまま徐々に徐々に大きくなってきた傷を、大人になってから癒すのは、とても大変で、不可能に近い時もあります。
出だしは良かったはずなのに。子供のことを思って色々させてきたはずなのに、なぜこんな風になってしまったのだろう・・・。そこまできてもまだ、子供が見えていない親をたくさん見てきました。
子育ての仕方に正解はありませんが、子供は私たち親の所有物ではないことは、常に心に留めておかなくてはいけないのではないでしょうか。そこを見失うと、心の傷を受けて育ってきた親は、それをまた、自分の子供にも同じように課してしまうことになりかねません。
「出来の悪い子」なんて、本当はこの世にいないのです。
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